ジャニーズ問題と山下達郎-加害者と関係者の難しい立場-

Shiori115です。はてなブログ自体は作成して放置していましたが、今回は考えを整理するのを主な目的として少し書いておこうと思います。

何についてかというと例のジャニーズの性加害問題についてですが、それ自体は私から改めて何か書くというものでもないので割愛します。そのジャニーズ問題に関連して、山下達郎というミュージシャンが槍玉に挙げられている件についてです。

山下達郎というミュージシャンはもちろん私も知っていますし今更説明することも無いのですが、彼が自身のラジオ番組で話した内容というのが特に話題になっています。

news.yahoo.co.jp

これに対するはてなブックマークでの反応は以下の通りです。

b.hatena.ne.jp

まず例のジャニー喜多川氏による一連の性加害について、私もですが「そういうゴシップ的な噂はどこからか耳にしており、信憑性の度合いはともかくどうもそういうことはあるらしい」という認識は長らく持っていた人が多いと思います。

それが今回、おそらくは氏の死去を契機として、徐々に事実関係が明らかになりつつあるというのが現状でしょう。しかしジャニー喜多川氏はおろか芸能界や音楽業界などにおよそ接点の無い一般人ですら多くが知っていた噂話について、当の芸能界・音楽業界に身を置いていた人間がそれ以上のことを知らなかったというのはにわかには信じがたく、すっとぼけているとか白々しいという感想を抱いた人は多いでしょう。私もこういった趣旨の釈明が正確なものだとはあまり思っていません。

しかし一方で今回の山下達郎氏のような立場の人にとっては、どのような釈明や対応をするかは非常に難しいものであるというのも想像に難くありません。まず大前提として山下達郎氏はジャニー喜多川氏と全く同じ立場ではありませんし、一連の性加害問題における加害者ではもちろんありません。上記に引用したブックマークページでは山下達郎氏に対するかなり厳しいコメントが多くありますが、中でも山下達郎氏を加害者と同一かのように指弾するコメントには違和感があります。下記にいくつか引用しましょう。

usi4444 山下達郎の音楽に罪はないし、CDショップから排除すべきとは思わないが、これから日曜の昼にラジオで彼の言葉を聞くのは苦痛になるのでFM東京は今後についてよく検討して欲しい。

"ラジオで彼の言葉を聞くのは苦痛になる"

m_yanagisawa “残念なのは…SMAPの皆さんが解散することになったり、最近ではキンプリが分裂して…どうしてと疑問に思います”<山下氏はナイーブすぎる。性加害を知った今、この態度を続けること自体、加害を容認することになる

"加害を容認することになる"

fa11enprince 年配の人しかこの人の曲聴いてないからあっそうって感じはある。音楽は生活必需品ではないので消えてもらって構わない。性犯罪擁護者は消えればいいと思うが、歳取るとこの辺の判断ができなくなるんだろうか。

"性犯罪擁護者は消えればいいと思う"

 

山下達郎氏に対して「性犯罪擁護者は消えればいい」とまで断じるコメントはかなり強烈ですね。念のため、山下達郎氏は自身のラジオ番組で以下のように発言しています。

私が一個人、一ミュージシャンとして、ジャニーさんへのご恩を忘れないことや、ジャニーさんのプロデューサーとしての才能を認めることと、社会的・倫理的な意味での性加害を容認することとはまったくの別問題だと考えております。作品に罪はありませんし、タレントさんたちも同様です。繰り返しますが、私は性加害を擁護しているのではありません。

山下達郎のサンデー・ソングブック 書き起こし

この部分の発言を含めて山下達郎氏は「ご恩」という言葉を繰り返し用いています。ジャニー喜多川氏に対してはミュージシャンとしての恩があるという趣旨ですね。芸能事務所の創業者として著名な人物であるジャニー喜多川氏に対して、いちミュージシャンが何らかの形で恩を受けるということ自体は特に不思議なことではありません。

さて先ほど私は一連の性加害問題に関して、芸能界・音楽業界の人間が噂以上のことを知らなかったというのは信じがたいと書きました。しかし、例えば今回の山下達郎氏がどこまでのことを知っていたかというのは明確にはわかりません。一般人よりもジャニー喜多川氏に近い芸能界・音楽業界に身を置いていることが、一般人以上のことを知っていたという保証には必ずしもならないわけです。もっとざっくり書けば、「仕事で繋がりのある事務所社長についてのゴシップについて、わざわざ事実関係を確かめにいくかどうか?」ということです。

今回のジャニー喜多川氏の件は既に事実関係が明らかになりつつありますが、これがもし全く事実無根の内容だったらどうでしょうか。仕事で関わりのある事務所の社長に対して、ゴシップ誌の内容を鵜呑みにしたような内容を問いただせばどうなるでしょうか。事実無根の内容なら相手からの信用を損ねるどころの話ではありません。逆にそれが事実であったとしても本人にとって後ろ暗いことであれば、むしろ仕事を切られたり干されたりなどする可能性は高いでしょう。どちらに転んでも苦しい立場です。山下達郎氏を非難するコメントをしている人達は、何らかの噂を耳にした時点で事実を暴いて告発すべ気だったと安易に考えているのかもしれませんが、こういう立場に置かれた場合の身の振り方については全く考えていないように見えます。要は「他人事」だということでしょう。

そしてもう一つ重要なことは、山下達郎氏はジャニー喜多川氏に対して恩があるということと同時に、「性加害を擁護しているのではない」と明言していることです。このように何らかの加害者であったり悪であるとみなされた人間に対して、一方で何らかの恩があるという構図が成立しうるということです。側から見れば矛盾しているようでも、「恩人だが(別の面では)加害者である」あるいは「(別の面では)加害者だが自分は恩を受けた」というのは本人の中では矛盾なく成立するのです。俗っぽい書き方をすれば「他人に対しては乱暴だが自分には優しくしてくれる」みたいな感じでしょうか。一人の人間の中に善性と悪性を同時に見出すこと自体は可能ですし、その悪性について問いただしたり糾弾したりするかどうかは他人が強制できるものでもありません。

「加害者(悪人)から恩を受けるとはそいつも加害者(悪人)に違いない」というのは素朴な感情としては理解できなくもないですが、その理屈をいついかなる時でも当てはめるべきかは少し冷静に考えたほうがいいでしょう。重ねて書きますが、少なくとも現時点で山下達郎氏は何らかの性加害における加害者ではありません。

 

ここまでは主に過去における話です。事実関係が明らかになりつつある現状では違う対応が求められるという面はあるでしょう。特に上記のブックマークページで山下達郎氏に対して厳しいコメントを記している人にとっては、今なおジャニー喜多川氏を明確に糾弾しない山下達郎氏の釈明は大いに不満を抱かせるものだったのでしょう。しかし、"彼の言葉を聞くのは苦痛になる"とか"加害を容認することになる"とか、果ては"性犯罪擁護者"とまで断じるコメントには違うニュアンスがあります。すなわち今回の一連の件において、山下達郎氏をジャニー喜多川氏と同じ側、つまり加害者と同一視しているということです。「加害者(悪人)から恩を受けるとはそいつも加害者(悪人)に違いない」という理屈を何にでも当てはめるべきかは冷静に考えたほうがいいと書きましたが、まさにそのような例が出てきました。

anond.hatelabo.jp

今度は山下達郎氏のファンである(だけでなく仕事においても関わりがある)漫画家のとり・みき氏が話題にあがってきました。上記の匿名ダイアリーの筆者は以下のように書いています。

 

出来れば、山下達郎とは縁を切って欲しいのだが。

この匿名ダイアリーの筆者にとっては、すでに山下達郎氏はとり・みき氏にとって縁を切って欲しい相手と見做されているようです。この理屈を当てはめていけばどうなるかはわかると思いますが、A氏と関わりのあるB氏は縁を切るべき人物であり、そのB氏と関わりのあるC氏は…と際限なく続いていくでしょう。この場合、B氏やC氏は何らかの加害者である等の点ではA氏と同一ではないにも関わらず、発端のA氏と同一視されてしまいます。これではもはや中世の魔女狩りと変わりありませんね。

 

さて、オチも考えていなかったので結論も特に無いのですが、芸能界・音楽業界の関係者が「知らなかった」と釈明するのと、今になってジャニー喜多川氏はおろか山下達郎氏までも加害者かのように非難するコメントには同じような白々しさを感じますね。特に"私は性加害を擁護しているのではありません。"と明言している相手を"性犯罪擁護者"とまで断じるのはとても「正しさ」とか「正義」に則った行為ではないと感じます。

ちなみにこういう内容を書くと私が山下達郎氏のファンであるとか山下達郎氏を擁護していると安易に考える人が出てくるかもしれませんが、断るまでもなく私は特に山下達郎氏のファンでもなければ山下達郎氏を擁護するものでもありません。あと私の音楽ライブラリに入っている山下達郎の曲は…「クリスマス・イブ」だけでした。ベタすぎるな…。